THAT IS GOOD THAT IS GOOD

音に導かれる旅 トリニダード・トバゴ 廃棄物から生み出す輝く未来 前編

2009年3月18日~3月25日

イギリスの植民地支配下だったトリニダード・トバゴという島でスティールパンは生まれた。

アフリカから奴隷として連れてこられた民が
石油、セメント産業の廃棄物であったドラム缶から発明したと言われているが、
音を聞いてそんな暗く重い状況を想像する人はいないだろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/スティールパン

廃棄物、つまりゴミから宝を産み出したまさに錬金術的な創造だと思う。

最初に音源として手に入れたのはこのレコードで、当時高円寺にあったRAREという中古レコード屋で安かったので買ってみた。
18歳くらいだったと思う。

録音は1963年と書いてあるが、古臭いジャケの感じで錆びた鉄の感じがまた、良いアンティーク的な雰囲気の良さがあって今でも愛重してるし、DJでも何度もかけている。

そして21世紀最後のアコースティック楽器と言われるその音を身近なものとして最初に認識させてくれたのは、ヤン富田という日本が誇る音楽家だった。

というのも自分が20歳の頃仲間達と渋谷の宇田川町で作ったHIGHHOLEという小箱でやり始めたRHYTHM FREAKSというジャングルを主体にしたパーティーに来て、自分のDJを気に入り、
その後色々とサポートしてくれた南部君という人がヤンさんのマネージャーで、
その人からヤンさんの一連の作品を教えてもらった中にスティール・パンは多量に含まれていたのだ。

ちなみにヤンさんのお気に入りのサン・ラや武満徹などの音楽産業とはまた違うまさにコアな音を、当然若い自分はまさにスポンジの様に吸収していった。

そしてその流れからヤンさんのバンドの一員であった元MUTE BEATの今井さんというドラマーとも繋がり、1997年NewYorkの今井さんの部屋でその音を至近距離で聴かせてもらい、リアリティーを増していった。

上記は当時今井さんから頂いたレコードで先ほどの盤とも同じ時代の古き良きパンの音がするし、カリプソというジャンルをちゃんと感じる名盤だと思う。

また90年代後半NXSという自分がやっていたバンド?グループ?プロジャクとで出会ったエンジニアの内田君からの流れもあり、LITTLE TEMPOのTOKI君とも会え、当時住んでいた府中の家で2007年にレコーディングもした。

その作品はこちら。

https://crosspointproception.bandcamp.com/track/breezin-2

当時からどこの国、どのエリア、どの時代というボーダーラインを超えて音をイメージしていたが、いわゆる西欧楽器でもなく、民族楽器とも言えないスティールパンの音は、柔らかい音色なのに金属、つまりメタリックな音はどこか未来的だと感じた。

そしてそのエンジニアの内田君の奥さんである内田まつりさんは絵描きであり、2児の母でもあって
大量の絵本を自分に教えてくれたのも同時にインスパイアを与えてくれた。

そして1994年京都にあったライブハウスWOOPIESに
自分が当時RHYTHM FREAKSと同時にやっていたバンドEvilPowersMeのライブをしに行ったことで出会ったSINKICHIとの出会いから繋がった今も精力的に活動を続けるバンド、SOFTは、そのスティールパンと絶対相性が良いだろうし、
まつりさんakaマッチャンの絵とも相性が良いだろうと連想は膨らんだ2008年。

早速SOFTのメンバーに相談し、当時はまだメンバーではなかったが常にその活動を裏からサポートしていたエンジニアのKND君をトリニダードに連れて行くことを前提に、年末の京都でSOFTとレコーディングを始めた。

当時福岡の田口商店というレコード屋で買ったMILE DAVISのGIL EVANSとの10枚組のセッションCDはとても大きなインスパイアを与えてくれ、当時自分達がやっていたダラダラとしたセッションではなく、プロデューサーとして確固たる意志を持って、演奏者たちに指示を出していく、というスタイルをこの作品から実践することになる。

ということである程度オケというかベーシックトラックはできた状態で、2009年頭いよいよトリニダードへの渡航の手配をし始める。

そこで初めて、トリニダードが今も?植民地であることを痛感させられる。

なんとビザ申請はイギリス大使館なのだ。。そして自分の口座の過去1年分の正式なコピー用紙の提出と両親の口座のコピー用紙の提出。。。

そんな条件はその前もその後も体験したことはない。

何を一体恐れてるのだ?テロ???

ともかく、相手が望むものを全部揃え、ニューヨーク経由の便を手配する。

KND君としてはフィールドレコーディングとしては中国雲南省に赴いたことはあるが、海外での楽器の録音は初めての体験。

自分は2003年のキューバ、2005年のベトナム、その後のハワイ、ジャマイカなど何箇所か自らの機材で単独でレコーディングはしていたがエンジニアを連れて、その渡航費などの経費を自分で持つのは初めて。(ベトナムには助手を連れていったことはあるが)

つまり成功しないと負債として倍になるというリスキーな話ではある。
でもそれ以上にKND君の持つ機材のクオリティーとスキルが加わることで絶対にいい作品にできる確信はあったので不安はなかった。

(若いね!)

ということで到着!

早速予めアポを取っていたトリニダードでのスティールパンのカーニバルの全録音を任されているヨウイチワタナベという人物と会う。

なぜヨウイチさんと繋がったのか記憶が曖昧なのだが、、
おそらく先述したTOKI君からだったか、、

Yoichi Watanabe (Steel Love World Wide / Trinitone)

プロデューサー、レコーディングエンジニア数々の顔を持ち、現在トリニダードで大学教授も務める。過去にはマガジンハウスのライターとして活動の後、NYへ移住。
DJ等の活動を経て、87年伝説のFunky Slice Studioを設立。ヒップホップ総明記に数々の作品を送り出す。サウンドシステムのエンジニアの経験からスティールパンに触発され、トリニダードに移住。
その後もビクター等メジャーレコード会社からも作品を多数プロデュースしている。

この時初めてヨウイチさんと顔を合わせたのだが、予めSOFTのラフ音源を送ってあったので
一応トップエンジニア、プロデューサーにOKはもらえていたので話は早かった。

そんなヨウイチさんに夜のトリニダードの市街地を車で少し見せてもらいつつ宿へ。

今回は自炊もできるようなところを予約してもらった。
当時まだBooking.comなども無かったので現地に精通するヨウイチさんに色々と助けてもらった。

次の日の朝からKND君と二人で街を少し散策する。

スケボーショップがあったり、ジャマイカよりは経済的に豊かな印象。

そして早速ヨウイチさんに連れられ、パンヤードと言われるスティールパンの練習場に何箇所か連れていってもらう。

その中で雰囲気が気に入ったのがSound Specialistというグループで

総勢五十人以上いる中堅グループで、場所も決して綺麗ではないが、

良い感じで土着感があり、メンバーのノリも気が張ってなく自然体。

高円寺の阿波踊りの連を彷彿とさせる。

この場所自体が地元のコミュニティースペースになってる?

照準をこのグループに絞ったのは正解だった。

このグループで当時雇っていた?コンポーザー、コンダクターであるKen Professorという人はとにかく情熱的で大好きになった。

彼の指示によって録音も素晴らしいものになった。

この中央にいる恰幅のいい女性はSerenaという名前で、
すごくシャイであまり喋れなかったけど、
体重にちゃんと比例してるのか、彼女の音は太く柔らかいのはすぐわかった。
なので彼女にも演奏を依頼した。

彼女はオリジナルな演奏やインプロ的なものは経験がなかったので、そのKen Professorにアレンジなどを指示してもらえたのも最高だった!

しかしこのKen Professorが数年前に飲酒で車で交通事故で亡くなったとヨウイチさんから去年聞いて、
最後まで爆発してたんだな、と妙に納得。
ある意味昭和な破天荒な人。。

すごく感謝してます。
R.I.P.

そしてこの人物、Earl Brooksとの出会いは忘れ難い。

ヨウイチさんに音源を聴いてもらった上で、誰かオススメのパン奏者を紹介してもらう流れで登場したのだが、
前日にギャラが17万と聞き、???と思った。

こちらは大手レコード会社やスポンサー付きでココに来たわけじゃなく、
完全に自分の財布からだけでやっている。

まあ自分の江戸っ子的な短気さで、初対面ながら、(暑かったのもあるけど)
上半身裸になり、完全半ギレモードで、
『あんたらブラックの人たちも奴隷として連れてこられて大変だったとは思うけど、
うちらのじいちゃんばあちゃんも国中焼け野原にされて、無茶苦茶大変な状況から日本の経済状況があるわけで、
アメリカやイギリスの白人とは訳が違うんだからな!
つうか今でもうちの国は年間3万人以上自殺してるようなハードな場所なんだぞ!』
って内容を英語で捲し立ててる間にパンの用意はできていて、

『上を向いて歩こう aka SUKIYAKI SONG』

を弾き始めたのだ。

自分は感極まってたのもあり、涙腺崩壊。

怒りから、癒しの世界へ笑

結局彼もヘッドフォンでSOFTの音源を聞くとすごくインスパイアが湧いてきたらしく、
結果的には1日だけでなく2日に分けて4曲も演奏してくれ、
ギャラも7万でいい、ということになった。

(ちなみにトリニダードの経済観は日本と大して変わらない、現在だと日本より物価は高いらしい)

そんな胸熱な出会いからレコーディングは感動的なものに。

旅は続く

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J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY / NXS /CROSSPOINT)
http://www.nxs.jp/
https://linktr.ee/JAKAM

東京出身。15歳からバンドとDJの活動を並行して始め、スケートボードを通して知り合ったメンバーで結成されたバンドEvilPowersMeの音源は、結成後すぐにアメリカのイラストレイターPusheadのレーベル等からリリースされる。DJとしてもその革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としても米Grand RoyalからのBuffalo Daughterのリミックスを皮切りに、Boredoms等のリミックス等メジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。2003年にキューバで現地ミュージシャンとレコーディングツアーを敢行したのを皮切りに、その後世界各地で録音を重ね、新たなWorld Musicの指針として、立ち上げたレーベルCROSSPOINTを始動。
2015年から始まった怒濤の9ヶ月連続ヴァイナルリリースは大きな話題になり、その影響でベルリン/イスラエルのレーベルMalka Tutiなどからワールドワイドにリリースされ、DJ TASAKAとのHIGHTIME Inc.、Nitro Microphone UndergroundのMACKA-CHINとPART2STYLEのMaLとのユニットZEN RYDAZ、Minilogue/Son KiteのMarcus HenrikssonとKuniyukiとのユニットMYSTICSなど、そのオリジナルなヴィジョンは、あらゆるジャンルをまたぎ、拡散し続けている。また音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、野外フェスOoneness Camp”縄文と再生”を企画するなど活動は多岐に渡る。

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