2012年6月20日~7月7日
2度目のイスタンブール。
相変わらず船上で頬にあたる風が気持ちいい。
沖縄の離島での船中心の生活様式を思い出すが、ここはいわゆる南国ではない。
西を見ればギリシャ、ヨーロッパ、東を見ればアラブを越えまた広大なアジア。
北を見れば東欧、ロシア。南にはエジプト、アフリカも遠くは無い。
かつてはオスマントルコ帝国として世界を席巻したこの地は
アウトプットと同時にインプットもしてきたのだろう。
『世界』を『地球』を感じさせる。
北でも南でも西でも東でもなく。
中心にいるような。
暑過ぎず寒過ぎず。
日差しが強いような弱いような。
世界を見渡せるような気持ちよさと同時に、囲まれてるような緊張感もある。
自分のような極東から来たアジア人でもここに親近感は持つのはそんな理由なのかもしれない。
今回の目的は大まかに言えば2つある。
前回2011年2月、サラーム海上氏の紹介で前座DJをしたBABA ZULAから紹介された
YAKAZA ENSEMBLEというバンドのメンバーとミーティングすること。
彼らの音と会津出身のアーティストSYUNOVENとのコラボレート作品を出したばかりで、
これらの作品を直接届けるという重要なミッション。
https://nxsshop.buyshop.jp/items/3764970
https://crosspointproception.bandcamp.com/album/yakaza-ensemble-meets-syunoven-rmx-ep
ちなみにこの作品のリリース直前に東京代々木上原にあるモスク、東京ジャミーで、その当時トルコ大使館文化事業部の部長テラットさんの恩恵を受けて、なんとモスクの中でエキシビジョンもやらせて頂いた。
ちなみにこの
『失われた絆を取り戻す』
という文句を自分が作った後に、自民党が、『なんとかを取り戻す』
って文句を使い出したので、どっかの電通のやつがパクったと認識してる笑
ともかく改めてこの状況はすごい。
モスクでこういうことがやれたのは奇跡としか言いようがないし、
この時期の色々な流れも全て何かが動いているとしか言いようがない。
スケーターが沢山来てくれたのは嬉しいが、ビールをモスクに持ち込んでる若い奴を説教したり企画者として多少コントロールが大変だった笑
そして、もう一つは先日ダンサーのNOURAHから紹介され、レコーディングしたHogir(ホギール)という、トルコ系クルド人のパーカッショニストと会い、彼のクルド人としての故郷ディアルバクルまで行って録音することだ。
2012年6月に吉祥寺のスタジオで録音したこれらの音が、
その後2015年に9カ月連続ヴァイナルリリースとして発表された楽曲に散りばめられている。
https://crosspointproception.bandcamp.com/album/counterpoint-x
https://crosspointproception.bandcamp.com/album/counterpoint-y
既にこの2つのミッション自体がトルコの政治的問題の渦中に望まざるとも巻き込まれることになる。
そして余談だがこの2012年という年は前年にあった3..11、地震による津波の災害。
そして福島原発のメルトダウン、爆発という世界をまさに揺るがした事件の余震が続き、多くの人たちが葛藤と模索の中にいたのは事実だ。
毎日のように国会前、経団連ビルの前でデモが催され、多くの人たちが原発再稼働反対を訴えていた。
そしてその混沌とした状況から生まれ出たものも沢山あったのだと、今2025年から改めて見ると興味深い。
この年の6月に僕らはこの土地を長野で見つけ、MOVEMENTS ONENESS CAMPという祭りを開催する為動いていた。
2012年8月31日満月に開催されたこの祭りには多くの人たちが参加した。
その翌週末には豊田で今も続く橋の下音楽祭の一回目が開催され自分もDJとして参加した。
放射能まみれになったこの島に住む熱い魂は再生し、芽吹いたのだ。
そしてその核産業の被害は当然広島、長崎にも繋がるし、その原材料であるウランを採掘する世界各地の場所はまたいわゆるトライバル(部族)エリアが多く、そこが共鳴し始めたのは必然だったのだと思う。
と同時に昨年の2011年2月に訪れたセネガルでイスラムに開眼した自分は、この時期に多くの書籍を読み漁り、足を運び、その文化を学ぼうとしていた。
感覚的に遠かったエリアがトルコを訪れたことで点と点が繋がったのは間違いない。
目を疑う内容、笑。
とにかくスケールが大きい世界、時代なのは間違いない笑
上記のストーリーは『海難1890』という作品で映画化もされ、観に行ったがとても興味深かった。
そんなトルコ。
なんとも濃いエリアに存在する。
故にそれはそれは凄まじい濃度の歴史、文化があるのは当然で、
オスマントルコ時代に栄華を極めた世界帝国。
日本もアイヌや琉球、それらメジャーな部族だけでなく、
名も無き部族を制圧し、統合して『単一民族』にしていったわけで、
トルコもその100倍近い規模で、その制圧をしていったのは間違いない。
国家とは政治で、部族は文化。
その問題を今回は相当考えさせられることになる。
ともかく現在日本でもこの数年(良くも悪くも)メディアで取り扱うようになった
国境をまたぐ『クルド民族』に関して、
オスマン時代からトルコ国内でも大きな問題になっている。
ということで、この当時相当な量の書籍を読み漁った。
制圧され、虐げられているのはクルド民族だけでは無い、ということも
この旅で色々知ることになるが、
ともかく
今回の旅には同行者がいた。
だが、今現在もどんな人間だか分かっていない。笑
この旅の直前に吉祥寺の音楽酒場バオバブで知り合ったギョウという男は
その当時クルド問題に着目していて、ジャーナリスト的なものに憧れていたようで、
自分のトルコへの旅に同行したい、と要請があった。
逆に彼からクルド関係の書籍を借りて読んだり、今話題の埼玉のワラビスタンに取材?に行ったり、
彼のおかげでクルド問題に造詣が深くなれたのは間違いない。
しかし、この旅の後半、彼の方が先に帰国したのだが、そこから音信が途絶えた笑。
結構貴重な録音シーンなど持って。。苦笑
ともかく、、
今回の旅も細かく説明していくとまた膨大な文字数になるので、ここからはしばらく写真中心で進んでいこう。
駅のホームで弾き語りをする人。
トルコ語なので歌ってる内容はわからない。
しかし、割と物悲しい印象を受けたのは気のせいか。。?
街で演奏する若者たち。
どこかジプシーの気配をセンターの女性からは感じた。
ジプシー文化は今回あまり触れていないが、トルコもまたジプシーの多いエリアだ。
そうこの映画を思い出す。
インド、ラジャスタンからスペインまで移動していったジプシーの流れを、音楽的に辿る素晴らしい作品でこの監督の
Vengo
は自分の音楽観、人生観を大きく拡大させるものだった。
アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカが全て繋がる。
その痕跡は音楽に見出せる、というのが驚愕で興奮した。
ちなみにトルコは政教分離をしていて、完全なイスラム国家ではない。
しかし、年配の方達は割と敬虔なムスリムが多い印象で、若い人たちは夜になるとビールやラク(白濁の蒸留酒)を飲み出す。
しかし、昼間は下記のようにカフェでお茶(チャイ)で政治、社会のことを話している印象だ。
何回かこのようなカフェに立ち寄ったが、日本よりは明らかに『シラフ度』が高く、
故にインテリジェントな印象を持った。
自分も酒を飲むが、この時期くらいから色々慎むようになったと思う。
たまたま?立ち寄ったキリスト教の教会で行われていた国連主催?のイベントは
World Refuge Day(世界難民の日)
https://www.unhcr.org/get-involved/take-action/world-refugee-day
だったのは何かの縁なのだろう。
一体どれだけの難民がこの世界に存在するのだろうか。。
現在も最悪の状況のパレスチナを思い出す。。。
そして夜になると若者たちが街に溢れ出し、、
このガラタ塔の周りに、観たことはないが1960年代の新宿のように若者たちが意味もなく?集まり出して音を出して、盃を交わしだす。
なんとも平和な光景だった。
この3年後にトルコでクーデターが起きて、その後この光景はどうなったのだろうか。。
改めて今この写真を見ると
前回書いたイスラエルの首都テルアビブに距離的にも近いのもあり、植物や日の当たりがとても似てると感じる。
下記はYAKAZA ENSEMBLEの実質リーダーであるEray(イーライ)。
彼はとても知的な人で、英語は完璧ではないが(お互い)、色々と文化、歴史、音楽の話を聞かせてもらった。
ちなみに彼は民族音楽だけでなく日本のFree Jazzなども超詳しい激ヴァイナルディガー。
その後レコード店もオープンした。
トルコのコーヒーはこのようなスタイルで、とにかく濃い。
そして一緒にモスクでお祈りをしたり。
また、結局作品化はできなかったが、下記の彼ともレコーディングをしたり。
彼はクルド人ではないが、トルコにおける被差別部族の出身で、その重く暗い歴史も教えてもらった。
CDも頂いた。
今改めて聴くとしっとりしていてすごく良い。
トルコの民族問題を音楽的な観点からもより掘っていくために
イスタンブールで前回行ったCD屋に行き色々試聴させてもらいつつ購入した。
その時は全くと言って良いほど分かってなかったが、
今見るとその後に訪れることになるハッカーリのCDも買っていたり、
直感の方が頭で理解するより早いのがまた興味深い。
そんな流れから先月の吉祥寺以来のホギールと合流!
ひとまず自分の荷物を率先して持ってくれたり、とにかく優しさに溢れてる泣。
あっちの野菜ジュースをご馳走になったり。
ガールフレンドも登場。
そして彼の地元になぜか連れて行かれ、
市街地とは一味違う趣のある建築。
ヨーロピアンな香りもかなりする。
不動産屋?
基本トルコの人は、日本人のことが大好きなのもあり、危険は全くと言って良いほど感じない。
しかし、詐欺師は去年いたな。。
ともかくホギールの実家でお茶を頂きながら、
おすすめのトルコのミュージシャンを教えてもらう。
特に彼がクルド系なのもあり、Kurdish Musicを、その文化の解説を聞く。
トルコ国内でのクルド人の首都ディアルバクルに行くことになったのは、具体的にはこの流れからだったと思う。
改めて、ホギール、超良いやつ。
信用できる!
ということでステイ先のYAKAZA ENSEMBLEのOmerのアパートの近くまでバスで送ってくれた。
ちなみにYAKAZA ENSEMBLEのCDが日本のレコード会社(つまりCROSSPOINT)からリリースされたということで、現地の新聞にも取り上げられたらしい!
どれだけ日本が好きなんだ笑
そんな事で翌日新聞社からインタビューされることに。
記者の彼女から質問された中で特に興味深かったのは
『なぜ、日本のカルチャーはDeep(Dope)なんだ?』
例えば黒澤明や宮崎駿のように。
えらく大それた質問だなと、そんな大きなことを自分みたいな人間が日本代表として答えて良いものかと思ったが、こう答えた。
『日本には戦国時代というのがあり、それは割と長く、100年くらい混沌とした戦乱の期間があった。
そこで既に渡来していた仏教が独自な形態を持つようになり、禅なども生まれたと思う。
その戦乱の中、精神性を見つめ、戦いの愚かさ、繁栄の無常さをテーマに琵琶法師など深い文化を生み出すことになった。その流れから第2次世界大戦に巻き込まれ、国中を爆撃され、原爆まで落とされ、日本の表現者たちは戦争を考えること。その後の世界を表現するようになったのだと思う。』
と答えた。
我ながら良い答えができたのではないか?と思った笑
こんな質問はされたことなかったので、客観的にそれを考えてはいなかったが、実際に自分も手塚治虫の『火の鳥』を幼少から読んでいたし、『はだしのゲン』などで戦争の痛ましさ、為政者の、大衆の愚かさ、怖さを常に考えていた。
今、現在も一部の貴族や財閥はそれに群がる政治屋たちは戦争で一儲けしようと企んでいるのは事実だ。
それに対して警告を発するのは芸術の一つの使命だとも思っている。
そんな流れでYAKAZA ENSEMBELのイーライが働くDJバーで(彼は酒は飲まない)彼のメイン楽器であるアフガンルバーブを録音した。
この時録音した音源は下記。
J.A.K.A.M. SUFI
https://crosspointproception.bandcamp.com/track/j-a-k-a-m-sufi-16b-441khz
録音後に屋上で彼ともSUFI(スーフィー)について、アフガンルバーブをパキスタンで購入した経緯や、文化的背景を聞けたのは、その後2023年にパキスタン、ペシャワールに行くある意味ガイダンスだったのだと思う。
自分も宗教家になるつもりは今のところ無いが、まさに影ながら、一井の人として信仰の中に生きていく、というのはリアリティーのある話だったのだと思う。
仏教的には在家、というのだろうか。
ともかく、J.A.K.A.M.としてDJもぜひやってくれ、とのオファーで急遽、彼のバーでやることになった。
下記は彼が作ったフライヤー。
カタカナがいいね笑
そして下記は昨年ネイという笛を録音させてもらったYAKAZA ENSEMBLEのFakih(ファキ)。
まさにスーフィーな人。
普段は料理人として働き、尺八も真剣に学ぶ、禅の人でもある。
超ジェントル。
彼は当時24歳位?(頭髪はトルコでは平均量、笑)
若い世代ならではなアニメ、ゲーム好きで、日本にまだ行ったことないけど、GoogleMapで調べまくってる超オタク。
しかしただのオタクではなく、実践の人で、プログラミングなど習得レベルも高い。
それはこんな武道にも笑
今は彼はフランス人の奥さんとフランス郊外に住んでエンジニアとして活動している。
とにかく面白い男で、日本語で自分のことを『師匠』とか『兄さん』とか言ってくる笑
ともかくトルコ後半戦にはDJもしなければ、、笑
旅は続く
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J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY / NXS /CROSSPOINT)
http://www.nxs.jp/
https://linktr.ee/JAKAM
東京出身。15歳からバンドとDJの活動を並行して始め、スケートボードを通して知り合ったメンバーで結成されたバンドEvilPowersMeの音源は、結成後すぐにアメリカのイラストレイターPusheadのレーベル等からリリースされる。DJとしてもその革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としても米Grand RoyalからのBuffalo Daughterのリミックスを皮切りに、Boredoms等のリミックス等メジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。2003年にキューバで現地ミュージシャンとレコーディングツアーを敢行したのを皮切りに、その後世界各地で録音を重ね、新たなWorld Musicの指針として、立ち上げたレーベルCROSSPOINTを始動。
2015年から始まった怒濤の9ヶ月連続ヴァイナルリリースは大きな話題になり、その影響でベルリン/イスラエルのレーベルMalka Tutiなどからワールドワイドにリリースされ、DJ TASAKAとのHIGHTIME Inc.、Nitro Microphone UndergroundのMACKA-CHINとPART2STYLEのMaLとのユニットZEN RYDAZ、Minilogue/Son KiteのMarcus HenrikssonとKuniyukiとのユニットMYSTICSなど、そのオリジナルなヴィジョンは、あらゆるジャンルをまたぎ、拡散し続けている。また音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、野外フェスOoneness Camp”縄文と再生”を企画するなど活動は多岐に渡る。