THAT IS GOOD THAT IS GOOD

福島県檜枝岐村

ブナの森と縄文人の蜜月関係

山深い地域ほど、見応えのある遺物に出会うことが多いと感じている。それは、ブナの原生林で知られる白神山地を訪れたときに感じたことだ。県道を猿が横切るような野生の気が強い場所だったが、そこから出土した縄文時代の遺物は、荘厳で洗練された魅力を放っていた。他にも八ヶ岳山麓や浅間山麓などを訪れたときにも同様の感想を抱いたことがある。そしてそのような場所ほど、まわりにブナの森が広がっているのだった。それ以来、ブナの森と縄文人の関係が気になるようになった。

尾瀬に少し遅い春が訪れた頃、私たちは檜枝岐(ひのえまた)村のブナの森を訪れた。そこは池塘が点在する尾瀬ヶ原ではなく、ふもとの七入という地区から尾瀬入り口の御池まで続く「御池古道」と呼ばれる昔の生活道である。
ここに「橅平(ぶなだいら)」というブナの天然林があることを知ってやってきたが、予想以上に檜枝岐村は遠かった。さすが、平家の落人が開いたと言われる檜枝岐村。周囲を2000m級の山々に囲まれた村は、3つの県に接していながらも、広大な尾瀬の湿原が追手を阻むように広がっており、唯一のルートである会津方面から来る以外はどこからも遠い。しかし、そんな隠れ里にも先人がいて、村では縄文時代の遺跡が7箇所出ているという。

縄文人は鮭とばを食べていただろうか?

御池古道の入り口は、檜枝岐村が運営する御池ロッジの裏手にある田代(たしろ)と呼ばれる小湿地を抜けたところにあった。標高1500mほどのこのあたりは、早春の風景といったところ。木道を歩くと、枯れ草の間から小ぶりの水芭蕉が可憐な姿を覗かせていた。斜面を少し登り、目印のように立つ赤褐色の巨木を通り越し、雑然とした森の中に入ると、黄色味を帯びた落ち葉がふかふかに敷き詰められた山道に迷彩柄の幹を持つブナの木が現れはじめた。

太さの違うブナが生えそろう古道。

水分を好むブナは、おもに日本海側の豪雪地帯にその天然林を見ることができる。ブナ帯文化を提唱する市川健夫さんの著書『ブナ帯と日本人』(市川健夫/講談社現代新書)によると、樹種にブナが占める割合が高い一帯をブナ帯といい、ミズナラやトチ、クリ、クルミなどとともに木の実のなる森をつくるそうだ。

縄文時代の人々の主食がドングリやクリ、クルミ、トチなどの木の実であることはよく知られているところだが、同様に秋の恵みで忘れてならないのは、秋になると川を遡上してくる鮭だ。市川さんの本によれば、ブナやミズナラなどの森は、大量の落ち葉や腐葉土によって、針葉樹林の3倍以上の水分を吸収し、それが徐々に河川に排出していくので、魚が卵を生みつけやすい安定した川を作るという。孵化率が高ければ高いほど、秋になり遡上してくる鮭も多い。つまり、冬に向けて、食料を準備しやすいのがこれらの森の川なのだ。

ちなみに、産卵を終えた鮭は、北海道では「ほっちゃれ」と呼び、脂が抜けてまずいものだが、干して鮭とばにするとおいしく食べられる。きっと縄文人も竪穴住居の炉の上で燻しながらスモーキーな鮭とばを作っていたことだろう。「今年の鮭は身が小せぇ」「こっちは大きいぞ」などと言い合いながら。

ブナの新緑を見上げる。

ブナの森には絶えず生と死の循環が生まれている

しばらくいくと、次の田代が現れた。なるほど、森と湿地が交互に現れるのが、尾瀬トレッキングのひとつの特徴らしい。木道の先には雪をかぶった山肌が見え、その手前に針葉樹がポツポツと寂しげに立っている。既視感があると思ったら、博物館で見る旧石器時代のイメージ画だ。ニッチな視点で恐縮だが、旧石器と縄文を交互に体感できる尾瀬は素敵なところだ。

この時期限定の旧石器時代っぽい田代。

次の森に入ると、あちこちに倒木が目立つようになった。道をまたぐように倒れたブナの幹に、ひらひらとしたキノコがたわわに実っている。ブナの森の恵みで忘れていけないのは、キノコだろう。知識もないし、毒が怖くて手を出さなかったが、いかにも美味しそうなキノコだった。
同じブナ帯に位置する青森や秋田では、きのこ形をした土製品が出土している。一説には食用可能なキノコを説明するためのサンプルだというが、縄文人のキノコへの執念を感じさせてくれるものでもある。

美味しそうなキノコ。

それにしても、キノコの栄養源になるブナの倒木を見ていると、木にとってこれは死なのか、それとも生なのかがわからなくなる。腐ったうろの中にはもう次の新芽が伸びていて、確実に命をつないでいるのだから。
すると、傍らで写真を撮っていた廣川が「木が朽ち果てて倒れたとしても、更新されていく過程なのだとしたら、死じゃないのかもね」と、神妙な面持ちで言うので、ますますわからなくなってしまった。

ブナをはじめとする落葉広葉樹は、日光を求めて葉をのばし、冬になる前に栄養を幹に引っ込めて葉を落とす。そして、大量の実をつけて鳥に食べてもらい、フンと一緒に種をばらまいてもらう。この大盤振る舞いともいえる生存戦略によって、ブナの森には絶えず生と死の循環がぐるぐると生まれている。

朽ちた倒木の中に新たな芽が。

生命力の強さが価値であるかのように

林道に残雪が現れ始めた頃、目の前にぶくぶくとした無数のコブを持つ異様な姿のブナの木が現れてぎょっとした。何かの病気にかかったものかと思ったが、後で調べると、傷を負った樹木が自らを修復するために細胞を増殖したことでこのような姿になったものらしい。傷を負いながらもたくましく伸びる姿は、底しれない生命力に満ちていた。

こぶだらけのブナの木。

生と死があいまいなように、醜さと美しさの境目もよくわからなくなってきた。一見するとグロテスクな姿のこの木は、「生命力の強さこそが最大の価値」と言わんばかりに潔く立っている。その姿に心動かされるのは、命が途切れないことが重要だということを木が示しているからではないだろうか。決して端正に整っているとはいえない屋久島の縄文杉が多くの人を魅了するのは、厳しい自然環境で数千年間生き抜いてきた生命の凄みが感じられるからだ。そのような巨樹の生き様から、前向きに生きていく力をもらうのである。

ブナの森に依存していた縄文人は、この更新する森の生き様からどんな精神的影響を受けてきただろうか。
これまで見てきた会津地方の土器を思い返してみると、立体的な円環文様が連続している造形が多かった。新潟の火焔型土器や東北南部の大木式土器の系譜に連なる会津の土器だが、連続性をもった文様作りでは群を抜いている。重力にさからってどこまで途切れずに作れるか、競っているような雰囲気もある。その造形のあり方が、さながら循環する森のようだと思った。そして、その循環が止まることが森にとっての本当の死であり、縄文人がもっとも恐れたことなのかもしれない。

2017年に訪れた奥会津博物館の縄文中期の大木式土器。
円環がつながり文様をつくる会津の土器片。2017年やないづ縄文館にて。

膨れ上がったコブだらけのブナを見て、私たちはもと来た道を引き返した。何番目かの田代で、木道に張り出したウッドデッキに寝っ転がって休憩していたら、雨粒が頬に当たった。長居は無用。自然のメッセージを聞いたような気がして、ブナの森を後にした。

野生動物には出会わなかった。もし出会ったとしても、槍も弓矢も持たない私たちは彼らと関わることはできないだろう。ただ、山を降りていく途中に、野生の息吹ともいえる声を聞いた。それは、ブナの原生林を上から一望できる国道沿いで聞いた春ゼミの大合唱だった。淡い春色をしたもこもこの絨毯のそこかしこに、何百、何千という姿の見えない声が鳴り響いていた。

虫の声には高周波の倍音が含まれていて、それらを人間は肌で感じているという話を聞いたことがある。全身を包む倍音のサラウンドにしばらく身を浸していたら、やっと森と一体になれた気がした。

春ゼミが鳴くブナの天然林を国道から一望。
春ゼミの大合唱を動画でどうぞ!

草刈朋子:文 廣川慶明:写真


プロフィール

縄と矢じり

文章担当の草刈朋子と写真担当の廣川慶明による縄文探求ユニット。ともにNPO法人jomonismのメンバーとして活動するほか、全国の縄文遺跡と考古館や郷土館をめぐる縄文旅をしながら各地の縄文のカタチ、環境から読み解ける先史時代の価値観を探求中。
http://nawatoyajiri.com


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