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Artist Interview No.8 – Johnny Akihito Noda-(後編)

Artist Interview No.8 - Johnny Akihito Noda- Part 2

Johnny Akihito NodaさんことJohnnyさんへインタビューの後編です。
今回は、Johnnyさんの絵を描き始めたルーツから、実際に住んでいたサンフランシスコのエピソードなどと、彼の作品のルーツになる話などを中心にお届けします。

−絵を描くまでに至ったルーツを教えてください。

子供の頃はノートの端に落書きするくらいでした。
どちらかというとギターに夢中で、10代の時はバンド活動ばかりしていましたね。
当時は早めのパンクとかをやっていました(笑)
でもライブハウスにあるフライヤーを真似たり…と言うことでは絵を描いたりしていましたね。

−当時はどこで遊んでいたのですか?

僕は地元が名古屋で、近くに大須という場所があり、そこの商店街には古着屋やタトゥーショップ、ホットロッドのお店など、アメリカのカルチャーが好きな人たちのためのお店が沢山あり、アメリカ好きな人が多く集まるわけですよね。

中学くらいから時間があるときは、ずっと大須に行って遊ぶようになって、自然とアメリカに繋がっていきました。当時ネットはまだ発達していないので、雑誌とかを見せてもらって知識が広がっていくわけです。

−今の作品の世界観のルーツがそこにあるわけですね!

はい!そういうことですよね!
20歳の時に、お店に集まっている人たちの中の一人がアメリカに行くことになって、ついて行きました。その体験が絵を描いたキッカケに繋がっています。

−アメリカのどちらへ?

サンタモニカにあるコプロギャラリーという所に行きました。

ロウブロウアートが90年代に1番盛んだった時期があって、当時アンダーグラウンドコミックとかサイケデリックアートとか色々なモノが混ざってロウブロウアートになっていくわけですが、そのムーブメントが起きた当初からパイオニア的にロウブロウ作品の展示を行なってきたギャラリーです。

−行った当時は、シーン自体はどのような盛り上がりだったのでしょうか?

僕が行ったのは2006年だったのでシーンは下火というか、形は変わりつつあったのですが、その時のグループ展はボン・ダッチという50年代、60年代に活躍した人のトリュビュート展が行われていて、その中で参加していたデイブ・バークのフランケシュタインの絵に完全にやられてしまいました…!
こんなの描きたいなって!

※ボン・ダッチ…アーティスト「ケネス・グレイム・ハワード(Kenneth Graeme Howard)」のニックネーム。よくストリート・ウェアのモチーフになっているフライング・アイボールを描いたアーティストといえば分かるかもしれません。
※デイブ・バーグ…ロウブロウアートムーブメントの中でも、エド・ロスのラットフィンクやモンスター、ホラームービーなどを題材にした作品を多く描くアメリカのペインター。

−やっと絵を描き始めたのですね(笑)

とりあえず名古屋に戻って、何だかわからないけど絵の具はアクリルなのでは?と思って、画材屋に駆け込みました。それが描き始めた瞬間です。

−衝撃を受けて描き始め、その後アメリカに暫く住むことになる訳ですね。

はい。アメリカには語学留学制度を使って行きましたね。
その前から何回か行っていた関係で住みたいとは既に思っていたのですが、当時は仕事をしていましたしね。アメリカに行くか、地元で店を持つか悩んで、いろいろ調べたら学生ビザが手取り早いことが分かりました。

実際に学校も行っていましたよ。塾みたいな形で週に4回くらいで3、4時間の授業を受ける形でした。先生と仲良くなれば、ちょっと誤魔化したりもしてもらえるんですけど(笑)
仲良くなるようにしつつ、渋々通っていましたね(笑)

LAとかには幽霊学校とかがあったらしいのですが、僕のいたサンフランシスコはなかったですね。昔は多かったらしいのですが。

−そこは渋々と通う形なのですね(笑)

渋々ですよ(笑) 周りもそんな感じでしたね。
僕の他に通っていた人たちもビザのために来ているけど、実際はすでに英語ペラペラな人たちで、本当に語学目的で通う人たちは半年くらいで自分の国に帰っていた印象でした。
僕も学校で英語を覚えたというよりは、日常の中で覚えました。

−ちなみにカリフォルニアのサンフランシスコに決めた理由とかってありますか?

カリフォルニアが大好きだったので…(笑)。僕は好きなものができると”それだけ”になるタイプでして、場所に限った話じゃなくて、食べ物とかもそうなのですが。

そもそもカリフォルニアでロウブロウアートが生まれて、その名残を感じさせるギャラリーも一杯あるのです。カリフォルニアの中でもLAかサンフランシスコが好きで、LAは街も大きいので当然アート・シーンもそれなりな訳ですが、僕はサンフランシスコの街の雰囲気が大好きです。

サンディエゴの友人たちとの写真。なじみすぎて日本語が喋れない日系アメリカ人に見えます(笑)

−どんな雰囲気だったのでしょうか?

街並みがアメリカの中でも独特で、ワクワクしますね。
昔のヨーロッパのお城を真似た家が多くて、ビクトリア・ハウスという名前なのですが、
そこでシェアハウスとかをしているわけです。ここに住んでみたいなと思いましたね。

加えて大好きな彫師さんがいて、その人に背中一面にタトゥーを手がけてもらいたいという気持ちもあったので、LAからもサンフランシスコに通うこともできたのですが、逆もまた然りということもあって、サンフランシスコを選びました。

背中のタトゥーを彫ってくれたタトゥーアーティスト兼ペインターのマイクさんの個展で
マイクさんのタトゥースタジオ”エバーラスティング タトゥー”(サンフランシスコ)

−実際に住んでみて、サンフランシスコにロウブロウ・アートのシーンは根付いていましたか?

もう、ロウブロウがなくなっていて、ポップ・シュルレアリスムが台頭していましたね。
ちなみにロウブロウとポップ・シュルレアリスムは仲間のようなものに捉えられますけど、ロウブロウはエログロなテイストがあったり、アンダーグラウンド・コミックの影響が色濃かったりするわけですけど、ポップ・シュルレアリスムはもっと上品で、ファンタジーな世界観もプラスされている、ロウブロウの進化系だと思っています。

−なるほど。発展したモノがシーンとして存在しているという話だけでも、聖地のようになっているという印象を受けますね。

同じくらいのタイミングでアメリカに来た日本人でYU MAEDAというポップ・シュルレアリスムのアーティストがいました。
YU君はLAに引っ越してきて、お互い行き来して会ったりしていました。
去年くらいにアメリカから帰ってきたのですが、
YU君に会った時は、「この人もアメリカ文化に憧れて日本から来たんだな」という感慨深い気持ちと、僕ができなかった「LAの大きいギャラリーで展示をする」と言うことを実現して来てすごいと思いましたね。

実際に行ってみて、日本とアートのシーンの違いはありましたか?

アメリカのグループ展に参加した時には、お酒を飲みながら絵を見て、気に入ったアーティストにはチップを払ったり、気軽に作品を買ってくれることも多くて、文化的に家に飾ることが当たり前だし、街を見渡しても看板やお菓子のパッケージまで当たり前のようにアート的な感性があるし…、日本人も服や音楽が好きなのに、なんでアートはそこの要素に入ってこないのかなと思いましたね。

それと、向こうは圧倒的にギャラリーが多かったですね。
でも日本もそうなると思いますよ。ストリートウェアにアートが取り上げられたりして、カルチャーに浸透して来ていると感じてはいますので。

町中に見られるアートの景色

サンフランシスコのグループ展示へ参加した時の写真

–ところで、日本にはロウブロウのシーンはあるのでしょうか?

うーん。そもそもロウブロウはアンダーグラウンドになるのかな?

ラット・フィンクとかは有名ですよね?

でも、本場のアメリカでは過去のモノですね。あまり見かけないですし。
アメリカ人からも「なんで、ラット・フィンクのステッカー貼ってるんだよ!?」みたいに聞かれるくらいです。

-調べたところロウブロウ自体をかなり広義に捉えている人もいるみたいでして、例えば日本でいうとオタク・カルチャーと融合した形で現在形があるみたいに、各国の地域のカルチャーと独自に融合して、かなり多様化している印象なのですが、Johnnyさんのロウブロウに対する見解をお教えください。

あまり分からないですね。
僕の影響されたものは、西海岸で発生したアートムーブメントのもので、そこ以外で起こったことは関係ないというか…
やっぱり僕にとってのロウブロウアートは、アンダーグラウンド・コミックスやバイク、タトゥーなどが入り混じって生まれていったものという認識ですね。

御徒町にmograg galleryというギャラリーがあるのですが、そこの方々は”日本のロウブロウアート”を扱っています。彼らはサブカルチャーやマンガ、アニメなどに影響を受けつつも独自の表現をするアーティストを”日本のロウブロウアート”として、紹介しています。

−ありがとうございます!厳密な話は有識と良心のある専門家に任せるとして、僕的には勝手ながらJohnnyさんが正統派のロウブロウアーティストと言う印象です。
話は戻りますが、その後、サンフランシスコでの生活を終えた後は日本に?

はい、名古屋に戻りました。良い制作場所が確保できるからですね。

実は東京にも来ようと思っていました。
サンフランシスコから帰ってきて東京に遊びに行った時に、驚きましたしね。
人の動きから何もかもが早いし、衝撃的で…。
楽しいとも感じていたので東京に住むことを考えていた矢先にコロナになって、そうこうしているうちに、今の場所も気に入っているからそのままというのが現在です。

自分の人生の時間は、基本的には「制作」のためであることに加えて、一人じゃないと描けないと言うこともあり、描ける場所と言う考え方が重要だと考えていますね。

−コロナの影響はこういう所にも出ているんですね。

そうですね。だけど、コロナをキッカケに、家の中をもっと良くしたい!みたいな需要からか、アートに興味を持ってくれる人が増えているのは肌で感じましたし、悪いことばかりじゃないと思います。僕自身も家にこもって作品に向き合う時間を増やすことができたと思いますし。

−そうですね。このインタビューの別の回でもコロナによるアート需要の増加などについて話しています。アート・バブルが起きていると言う話もありますが、そのあたりに関しては何かありますか?

間接的にですが、有名だからとか、割と投資的な発想でアートを買うという話しを最近よく聞きます。
僕は海外で無名でしたけど、展示にたまたま来たオバちゃんが「これ、いいわね!家に飾ってみるわ!」と自分が気に入ったものを買ってくれたりしました。
アートがもっと広がって好きになる人が増えるのはとても楽しみですが、アートを投資という考えだけで見るのは好きではありません。

いずれにせよ自分の好きなモノを好きといえる感覚は素晴らしいことだと思っています。

−感性から生まれてくるアートを商品的価値で決めすぎるのは確かにナンセンスだと思いますね。今後の展望をお教えください。

今まではお客様ありきでTシャツデザインとかを多く手がけてきたので、今後は展示で自分の作品を置くことを中心に活動していきたいです。アメリカに行ったのも、それが目的だった訳ですし。アメリカとか、その他の海外にもっと展示で行きたいですね!

−ありがとうございます!最後にお聞きしたいことがあり、個人的に気になったのですが、Johnnyさんの名前の由来をお教えください!

大須に入り浸っていた時にパンクが好きだったので、ブーツとか革ジャンのファッションだったことから「おまえジョニー・サンダースみたいだな」って言われて。
そこでみんなからジョニー、ジョニーって呼ばれる様になって。

アメリカに行った時にジョニーって名乗った方が早く覚えてもらえるのではと考えて、実際にジョニーって呼ばれる様になって、絵を描くときも同じ様に早く覚えてもらえるかな?と思ってジョニーとしました(笑)
本名知らない人も、結構多いです(笑)

※ジョニー・サンダース…パンク・ロックのルーツとなった伝説的バンド「ニューヨーク・ドールズ」のメンバー。その後のソロ活動も有名だが、実はヘロイン中毒で亡くなったセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスにヘロインをやらせた犯人でもある。

以上、Johnny Akihito Nodaさんのインタビューでした!
お話を伺って、カウンター・カルチャーが好きな自分としては、反骨精神を感じさせるロウブロウの世界観にすごく興味を持ったので、まずはザップ・コミックスの購入をしてみようとググったところ、いずれもプレミアがついており、とても購入できる金額ではありませんでした(笑)

今回の『Do No Ko ? Vol.2』に展示する4人のインタビューはいかがでしたでしょうか?
僕が話を聞いて素直に感じたのは、多様性だのなんだのと叫ばれる昨今ですが、アートの世界ではそんなのとっくの昔に当たり前で、アートに括ってしまえば一緒くたに思うかもしれませんが、全く違う作品や思想があって、それぞれな訳です。
そんな個々の世界観がクロスオーバーする『Do No Ko ? Vol.2』、ぜひ遊びに来て、自分にフィットするアートとの出会いのキッカケにしてください!

そんなこんなで下に展示会のインフォメーションを載せておきますので、みなさま是非チェックをお願いします!


2021/12/15-12/22
A group exhibition
D o N o K o ? Vol.2
Curated by TOKYO URBAN ART , GReeD TOKYO

at @noma__official

ARTIST /
END
MAI NAGAMOTO
Johnny Akihito Noda
YUSUKE BONSAI KID


文:THAT IS GOOD 編集部 古賀
TEXT : THAT IS GOOD editorial department, Koga


Profile

Johnny Akihito Noda

Instagram

1985年愛知県名古屋市生まれ。幼少の頃から絵を描く事を好み、10代の頃に地元名古屋にてアメリカのロウブロウアートシーンに触れ、興味を持ち始める。20歳の時、初めて訪れたアメリカ・ロサンゼルスのギャラリーで見たモンスターのペインティングに強い衝撃を受けて以来、独学で制作活動を開始。何度かアメリカを訪れた後、自身の肌で本場ロウブロウアートシーンを感じるため2011年単身渡米。5年間カリフォルニアでの制作活動を経て、2016年帰国。現在は名古屋を拠点に、海外でも精力的に活動中。Weirdでありながらどこか憎めない、愛嬌のあるキャラを生むキャラクターメーカーである。

Exhibition:
2011,2012 THE WORLD(Osaka)
2013,2014 mini bar(San Francisco)
2018 Momurag(Kyoto)
2018,2019,2020 MAD BOXXX(Nagoya)
2019 THE LITTLE HUT(Taipei)
2019 Dot Dot Dot Gallery(Hong Kong)
2019,2021 mograg gallery(Tokyo)

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