パキスタン
2023年2月13日~3月7日
カラチ
昨夜に行けなかったレコード屋にワリードが昼過ぎに連れて行ってくれる、
とのことで朝からもはや日課になった早朝のビーチまでの散歩をしてからの帰り道、
朝7時くらいに難民?としか見えないような人達が百人近く並ぶというか群がるのを横切る。
おそらく食事の配給なのだろう。
後で知るがバングラディッシュからの難民も多くパキスタンに流れているらしい。
このエリアでは特に英語を喋れる人が少なく詳細は不明だが、とにかく異様な光景だし、
居た堪れない気持ちになる。
今までこの録音の旅ではいわゆる第三世界と呼ばれる国に訪れることが多く、
『貧困』という問題は常に考えさせられるが、このたった数日でも強烈にパキスタンでは感じさせられる。
ここ日本でも東京で言えば山谷、大阪で言ったら西成なども含めた低所得者エリアは存在するし、
自分も世界各地で垣間見たことはある。
アメリカでも95年頃のLAのコンプトンやブルックリン、ジャマイカのキングストンやブラジルのリオのファベーラ、インドのバラナシなどもでも貧民街は見たことはある。
しかし、ここまで悲壮感のある状況は初めてで、救いがない、というか貧乏でも元気一杯の子供が見える貧民街とは違うのだ。
ズタボロの服で、身体中真っ黒で、裸足同然みたいな身なりの母子の絶望しかないその虚な目を見ると居た堪れない。
ともかく今日は自分一人で朝食をとってみようと試みる。
パキスタンでの公用語は何個かあるが、ここカラチでのメイン言語ウルドゥー語は全く喋れないが、
ショアーブが払ってる金額感は把握してたので、アタックしてみる。
チャイとパンみたいなものと目玉焼きくらいをどうにかオーダーする。
物珍しい自分をみんなぎょろぎょろ見てくるが、一人親戚が日本で働いているという男性が自分に話しかけてきて、
片言の英語で少し会話をした。
彼はまさにボランティア的な職員としてこのエリアで出稼ぎに来てるらしく、
この国の政治は腐っている。酷い、、と嘆いていた。
彼自体は感じのいい人で、なぜかその朝食を奢ってくれた笑。
朝っぱらから重い気分になりつつ、ステイ先までの道のりで店に立つ銃を持った男たちを横切りつつ、帰宅。
先述したレコードのインナーからアフガニスタンの楽器の特徴や歴史、文化背景などを読んで学びつつ、
この複雑な感情を吐き出すかのようにラフトラックの制作を進める。
程なくワリードが到着し、レッツゴー!と相変わらず妙な陽気さにアゲられる。
彼がここのオリジナルの噛みタバコを知ってるか?
奢るからやってみな!と。
https://youtube.com/shorts/qiEV7j-c8zI?feature=share
基本は昔からある食材?だと思うが、なんだか得体の知れないケミカルな色のものも入ってる
ソレを口に入れる。
ハッカみたいなスカっとするものと苦い、というかなんだかわからないけど強烈な味が口に広がる。
初心者はそれをツバでそこらに吐き散らしながら味わうらしいが、ワリードは俺はベテランだから全部飲み込んじまう、と。。。
まあ日本で言えばゲテモノというかゲットー嗜好品というか、、
ともかくやっと念願のレコード屋に到着!
ものすごいレコードの量に大興奮!
https://youtube.com/shorts/Yf0gYZfOZ60?feature=share
奥には大量のカセットテープもあったり、1日じゃとても見れるもんじゃない。
https://youtube.com/shorts/BuMyQxEjfWE?feature=share
しかし、もはやお目当てになってきたアフガニスタンの楽器、特にアフガンルバーブ絡みのレコードは全くと言っていいほどなさそう。。
しかも店主がどこかへ出張中で、店主の父親が店を開けてくれたはいいが、全くレコードの知識もないし、
値段も把握してなく、例えば、これはいくらなのか?と聞いたら7000ルピーと。。
ん??4000円近く??
そんな高いの日本でも滅多にないし、渋谷のエルスール辺りで探した方が安くて、程度のいいものが見つかるじゃん、、と
一気にテンションが落ちる。。
それに録音機材などですでにバックパックはパンパンで、
目的はレコード掘りではなく、レコーディングなので、冷静さを取り戻し、、
結局1枚も買わずに退散。20分くらいの夢だった。。
その親父さんは当然?民族楽器演奏者のことも知らないらしく、またも振り出しに戻る。。
他にも楽器屋関連で彼の思い当たる節の店に連れていってもらうが、どうもピント外れというか、
https://www.youtube.com/shorts/RtB1-WtE6pw
ともかく上記のように日中から女装した男がどう考えても客を取ろうと、道で勧誘している光景に多々出会う。
ワリードに一応尋ねても売春だという。
ちなみに女の売春婦はいない。男の女装した男娼だけだ。
しかも真っ昼間から!
何かがおかしい。。。
ともかく
精神的にもタフなワリードは、じゃあ次に行こう!と次に連れて行ってもらったのは博物館的な場所で、
そこの一角で楽器の修理などもやってる工房があると連れていかれると、、
オー!とうとうアフガンルバーブ発見!!!!
https://youtube.com/shorts/Pf0sFc_313A?feature=share
人のいいおじさんたちだが、英語が通じず、ワリードもそこは達者じゃなく、
こちらが演奏者と録音したいという要望を伝えても、そこは分からない、とのこと。。
(パキスタン全般で英語が喋れる人は日本よりも限られている印象)
https://youtube.com/shorts/RtB1-WtE6pw?feature=share
でもやっとその現物を見れただけ、リアリティーは出てきた。
帰りにワリードが慰め込めてピザのような軽い飯を奢ってくれ、少し話す。
彼自体は結婚はしていて共働きで子供はいないが猫を飼ってるという。
お互いの家族構成などを話したり、このカラチでの相棒との親睦を深める。
彼とも数奇な縁だ。
そういえば
去年末福岡のマノマという仲間の店で20歳になる自分の次男坊と議論した。
『どこの国の人も本質は変わらない』という自分の論に反対して
『環境から人間の本質は形成されるから土地によって絶対違う』という次男の論は平行線に終わった。
最後に偉そうに『独りで、いろんな土地に住む人たちと関わってみればいい』と彼を見送ったが、
旅人に憧れずも、いつの間にか旅ばかりの人生になってしまった自分には勝手な持論が出来上がりつつある。
ともかく、そのワリードの知り合いで、パキスタンではDJカルチャーなどに精通する男ダニアルから連絡があり、
明日、レーベルもやってる知人の家でコンサートがあるから、ゲストが必要なら書いておくと連絡がある。
ここカラチに着いて、街に音楽が全く無く、
ただ街の騒音(バイクや車のクラクション)しかないのはおかしいと思っていた。
普通、店などからラジオからの音楽がかかってるのが当たり前だと思っていたが、ここでは無いのだ。
街に音楽が。
イスラムでは音楽を良しとしないのは知ってる。
しかし、今まで訪れたトルコやセネガル、エジプトなどでは、音楽が聞こえてきたし、
ミュージシャンの気配は繁華街など、行くところに行けば、感じれた。
なので音楽的内容はどういうものかわからないが、どんな状況で音楽が演奏されるのか、
状況を見ないと、録音までも辿り着けないような気がしてたので、渡りに船だ!是非!と伝えた。
いずれにしろ、ここカラチではミュージシャンを探すのは難しそうだし、
ショアーブが仕事で2日後にラホールにバスで行くから、バスで一緒に行って、
オマール(大塚のモスクのボス、ハルーンさんの従兄弟)のところに連れて行けるというので、
同意した。
今まで数々の国でどうにか自力でミュージシャンを探し、録音してきたが、ひとまず次の場所へ移動するべきなようだ。
このやり方はギャンブルのようでとてもリスキーなのは当然承知だし、
妙な自信の上で、今までギリギリ奇跡的に成立していたが、
ここまで日本と違う状況、つまり西欧的な社会ではない、『イスラム系社会主義国』という状況は来てみて、
それがここでは難易度が高いことを痛感した。
イスラムという宗教だけでさえ、ハードコアな態度を要求されるわけだが、なおかつ社会主義だ。
世界的に見ても相当ガチガチな国なのだと思う。
イスラム系の国も何ヵ国か体験済みだし、キューバやベトナムなど社会主義の国も体験していたが、
それが合体するとここまで男社会というか、、
本当に北斗の拳というかマッドマックスというか。。
自分自体はイスラムも共産主義も悪いものだとは思っていないが、
外部から来た人間には何せハードルが高い。
英語というまさにイギリスの西欧の言葉ではまたそのハードルを高めてる気さえしてくる。
せめてアラビア語を喋れたら話はだいぶ違うのかもしれない。。
ともかくまだ2日間あるし、どちらにしろ帰りの飛行機はここカラチからだし、
リベンジはいつかできるだろう。
落ちることは許されない。
アガるのみだ!
このエレベータはショアーブ達の事務所が入ってるビルのエレベーター。
降りるのは階段という、、
建築上のミスなのか不明だが、爆笑した。
その日の夜、ショアーブと夜中までいろいろ話した。
彼とはこの一週間近くダブルべッド(ノミ付き)を並べて寝起きを共にしていたが、
正直気が合うとは言えなかった。
ちなみに彼はパキスタン人に嫁いだ日本人女性には会ったことがあるが、
日本人男性とは初めて接触したらしい。
よりによってこんな日本人と、、、苦笑。
そんな彼が、どんな音楽をやっているのか、どうやって音楽を作ってるのか、見せてほしいという。
なんでもそうだが、説明したり、教えたりすることは自分の認識を深め、高めることになる。
この様な録音の旅を通し、一体自分が何をやりたいのか、コンセプトや仕事として、どのように利益を得て、今後どんな展望があるのか、芸術的な発想がない人間にも、自分のリアリティーを伝えなければいけない。
結婚して、家族の面倒をちゃんと見て、家賃なり持ち家のローンを払うなり、社会人として、ちゃんと働いてるのか、
これはイスラム系の国では相当重要なことで、男として、父としての努めを果たしてるのか、を常に問われる。
自分はその条件をギリギリ?笑、果たせてる前提で、その先に芸術家、音楽家、というのがあるわけだ。
そこは理想の領域で、会社員などからは羨望と嫉妬が入り混じることは常に感じてるのだが、
このショアーブからもかなり感じた。
ミュージシャンって伝えられてるけど、実際お前ってどうなの?ってことだ。
まあ色々話して、ギリギリ成立はしてるみたいだし、上司であるオマールから手厚く接待しろ、と言われてるみたいで、
基本は客人として接してくれるが、はっきり言って、お互い、その関係性が無かったら、
会うことも話すこともないだろう。
そんな二人がダブルベッド2つ並べた上で、寝起きをともにしてるのも不思議な話だ。
彼の方が5-6歳年下だが、企業人、サラリーマンだからか、しっかりしてるとも当然言える。
しかし、自分が今まで行ってきた国々での体験や、どこかに属さず、自分の力だけで稼ぎ、家族を養ってきた事実も、
ましてやその手段が音楽、ましてやDJカルチャーやコンピューターでの作曲だから、
想像できない範疇だろうし、興味が湧くのも当然だろう。
ともかく色々と説明し、納得はさせれたらしく笑、逆に自分も興味あることを質問してみた。
その中で衝撃的だったのは、
隣国である、インドをどう思うか?
と尋ねたら、キッパリと『エネミー(敵)だ』
と言ったことだ。
はっきり言って聞き直した(笑)
自分の音楽の通念として、どんな民族にも共有するものがあり、
そこには共存する可能性が確実にあり、
民族や、ましてや国、国家の政治システムから、どこかの国を『敵』とする
はっきり言わせて貰えば、ナンセンスな発想がないからだ。
でも彼は、インドとの歴史、文化上の共通点、同じ民族性、同じ言語を使っていても
『敵』だと言い切った。
これはもしかしたら、パキスタンの一般庶民の男性の典型的意見かもしれないし、
もっと言えば、日本でも、世界でも、どこかの国、民族を敵視する、
というのはすごくポピュラーなのかもしれないと思った。
多くの国民は、そこでの義務教育から、国家体制の一員として、
もっと言えば、兵士として、教育され、管理されるわけで、
現在も大問題中のイスラエルの国民の多数が愛国心と表裏一体のパレスチナ、
アラブ社会、イスラム教に嫌悪を燃やしてる事実は確実にある。
しかし、目の前で『敵』という言葉を聞いたのは個人的には衝撃だった。
50年近く生きてきて、それはある意味恵まれてるというか、
甘い状況だったのかもしれない、とも思った。
考えさせられながら眠りにつく。
世界は未だ、敵と味方、の中にあると思うと、日本が敗戦国として、
9条含め、かなり独自というか、特殊なメンタリティーになってるのだとも思う。
そして、その精神性は世界では通用しづらいものであるのは間違いないようだ。
いくら素晴らしい理念であったとしても。。
と、相変わらず重々しい心理状態になるのだが、
『正義』という言葉を朝っぱらからひたすら考える。
この言葉は実は自分にとっては少年時代に深く印象付けられた言葉で、
我が家には度々様々な人が酒を呑みにきていたのだが、
その中でも印象的な人物である、杉山さんという人がいて、奥さんはフィリピン人で、
杉山さん自体は普段、右翼の街宣車に乗ってるだか、取り仕切ってるだか、、
同級生の一人の親父もそんな感じだったので、そんな人が周りにいたり、
親父自体も天皇のことを天ちゃんというくせに、自分は右翼だとよく語っていたり、
まあ混沌としてる中、
杉山さんが酔った口調で、自分を引き留めた。
その時小3-4くらいだったと思う。
彼は『おい、正義って意味わかるか?』
『いや、、』
周りはニヤついてる。
『義って言葉は中国にもあるが正義って言葉は日本にしかないんだ』
『はあ(っていうか意味の話じゃねーじゃん)』
という会話だ。
そこには明らかに中国と日本は違う、という右翼独特の発想が垣間見えたが、
面倒なので黙ってやり過ごした(酔っ払いだし)。
しかし、義と正義が違い、そこには日本海を超えたことで育まれた、この島独特な価値観が生まれたのかもしれない、
とも思った。
それでも意味として、正義の正をちゃんと持つ人物は大陸、中国にも当然存在すると思うし、
正が無い輩もこの島に多々いるのは間違いない。
ともかく
『義』はわかる。
問題は『正』だ。
『正しさ』
英語で言ったら『JUSTICE』なのだと思うが、
そもそもその正義という価値観は万国共通なのだろうか??
ともかく『JUSTICE』という名をラフトラックにつけ、心境の進展を見守ることにした笑
夕方まで作業に没頭して、制作中のラフトラックに『気持ち』を込めていった。
ほどなくしてワリードがバイクで迎えにきたが、仕事ですごい疲れたと。。
「疲れたからリラックスできる音楽をかけて」と言われPCでしばし選曲。
混沌としたココKarachiで、出国前にアフガニスタン音楽聴きまくってた流れで
35歳のパシュトゥーン系(アフガニスタン系)のワリードを
音で癒すなんてなんだか感慨深い状況。
どうにか復活して二人でコンサート会場に向かう。
指定された場所は繁華街の中の団地的な場所で、別にライブハウスやクラブ、ホールというわけでは確実にないようだ。
つまり、アンオフィシャル?イリーガル??
指定された場所を二人でタバコ吸って待ってると家主であり、オーガナイザーであるダニアルが登場。
先述したダニアルとは別人。イスラム社会では名前が一緒なのが多すぎて、困惑する。。
ともかく部屋に招かれると、ほんと日本の団地の様な感じだが、奥に屋根付きの庭の様な場所に通され、
ちょっとしたステージが奥に作られ、PA(音響の)エンジニアがマイクチェックをしてる。
おー!なんかアンビエントパーティー的な??
いい感じな雰囲気。
程なくして、人がどんどん集まってくる。
しかもこの約一週間の中で、街では絶対見かけないような、
おそらくゲイの人たちや、ヨーロッパ系の外国人も結構いる。
在住ではなさそうだが、入場料を取ってるわけでも、公的な告知をしてるわけでもなさそうなので、
あくまでダニアルのコネクションなのだろう。
彼とも少し話したが、とても話しやすいし、日本や世界で自分が出会う類の人物、
つまり、音楽、芸術関係の類の人物で、コスモポリタン的な感じ。
だから集まってくる人もそんな感じで、カラチってこんな人間もいるんだ!
と驚いた。
サウンドチェックも聞けて、紹介され話したが、演奏者である二人はパキスタンの南西部に位置する
通称バロチスタンエリアからきてるらしい。英語はほとんど喋れなかったが、
万国共通の老ミュージシャンという感じで好印象。
ワリード曰くはバロチスタンは何も無いところ、らしいが笑
その演奏はとてもサイケデリックで実際、60年代くらいまではアフガニスタンのカブールも
ヒッピーが世界中から訪れ、彼らにインスピレーションを与え、
THE DOORSやLED ZEPPELINなどのサウンドがその影響で形成されていったことを何故か彷彿とさせた。
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .1
https://youtube.com/shorts/2_tKhlYWTsU?feature=share
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .2
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .3
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .4
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .5
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .6
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .7
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .8
Ustad Noor Bakhsh@HoniunHoni 2023 .9
ワリードは芸術的な人間では無いので笑、途中であいつらはスモークしてるとか笑、
腹減った、とか言い出し、早く帰ろうと言い出すが、どうにか食い止め、最後まで演奏を聞け、
最後にダニアルと連絡先を交換して、ラホールなどの情報も求めてることも伝えることができた。
彼は下記のレーベルもやっていて
https://www.instagram.com/honiunhoni/?hl=ja
相当な博学かつセンスのいい人物だと確信。
実際、この後、彼の紹介は大きな影響を及ぼす。
ここパキスタンに来て、初めてのちゃんとした、しかも素晴らしい音楽を聞けて大満足。
ワリードとショアーブ達が最後の晩餐しようと、待ってるからと大衆野外レストランみたいなところに連れて行かれ、
海鮮料理をご馳走になる。
正直、不味くは無いが、多くの日本人が耐えれないような不衛生な状況で、海鮮なんで、まあ。。
ともかく日本人が珍しいので、みんな話しかけてくるし、ショアーブの部下の若い子達も気のいい子達で、
和やかに夜中まで食事する(当然酒はない)。
そして霧(カラチの夜の霧は凄まじく、何も見えなくなるくらい)とトラックの轟音と粉塵の中、
どうにかステイ先まで到着。
この街は本当にハードコアだ。
道もボコボコだし、貧富の差も酷いし、とにかくあらゆる状況は過酷だが、
この街には徹底的なリアリティーがある。
日本のように管理社会の甘く緩い繭がないから、自分の力で這いあがらないといけないし、
誰も助けてくれないし、気にもしてくれない(実は日本も本質的にはそうだから自殺率が異様に高い)。
それでも嘘や、まやかしは無い。
次の日も朝、ビーチに向かい、最期だからといつも勧誘されていたラクダに乗ってみる。
思った以上に高い。
砂漠ではなく、黒い砂浜だが、10分ほどラクダにまたがり、遠くを眺めると、悪い気はしなかった。
アラブの世界ではラクダはとても重要で、象徴的な生き物だとは知っていたが、
太古から人間と関わる動物だと肌で感じれた。
荷物をまとめ、ラホールの状況を軽く調べたりしてると夕方になり、
深夜バスの発車場に行くギリギリまで部屋で作業してると、どこからか歌声が、、
https://youtube.com/shorts/kc8BwouPgD4?feature=share
あまりにも素晴らしく、話しかけてみようと下に降りて、その歌を追いかけ、
話しかけると、その老人は盲目だった。
英語も全く通じないし、しょうがなく片手に持つ賽銭皿にお金を入れて立ち去った。
この音はNEW ASIAの中盤に差し込むことになるが、本当にいい声だ。
常々、盲目の人が最高の音楽人だと思っていたが、ここでも確信した。
感覚の一つ、聴覚を失うことで、目に見えないものがより聴こえてくるのか、、
何か全てが満たされていては感じれないものがあるのか。
どんな人間も完璧ではない、欠けているからこそ、何かを補い、
何か、誰かを必要とするのか。
そんな興味深く、有意義な、ホーリーな瞬間を体験しながらも、
去る時は来た。
いよいよパキスタンの最も重要な古都の1つであるラホールへ。
狭い寝台バスに乗り込む。
それでも旅は続くのだ。
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J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY / NXS /CROSSPOINT)
http://www.nxs.jp/
https://linktr.ee/JAKAM
東京出身。15歳からバンドとDJの活動を並行して始め、スケートボードを通して知り合ったメンバーで結成されたバンドEvilPowersMeの音源は、結成後すぐにアメリカのイラストレイターPusheadのレーベル等からリリースされる。DJとしてもその革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としても米Grand RoyalからのBuffalo Daughterのリミックスを皮切りに、Boredoms等のリミックス等メジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。2003年にキューバで現地ミュージシャンとレコーディングツアーを敢行したのを皮切りに、その後世界各地で録音を重ね、新たなWorld Musicの指針として、立ち上げたレーベルCROSSPOINTを始動。
2015年から始まった怒濤の9ヶ月連続ヴァイナルリリースは大きな話題になり、その影響でベルリン/イスラエルのレーベルMalka Tutiなどからワールドワイドにリリースされ、DJ TASAKAとのHIGHTIME Inc.、Nitro Microphone UndergroundのMACKA-CHINとPART2STYLEのMaLとのユニットZEN RYDAZ、Minilogue/Son KiteのMarcus HenrikssonとKuniyukiとのユニットMYSTICSなど、そのオリジナルなヴィジョンは、あらゆるジャンルをまたぎ、拡散し続けている。また音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、野外フェスOoneness Camp”縄文と再生”を企画するなど活動は多岐に渡る。