ラマダンが終わる今日
改めて自分が『神』そして『イスラム教』を強烈に意識した、
せざるを得なかった機会を書いてみようと思う。
それは2000年。
モロッコの砂漠での出来事だ。
当時付き合っていた彼女と二人でモロッコのジャジューカという音楽を聴きたい、
という漠然とした目的で、まだインターネットがさほど普及してなく、
携帯でGoogleMapなどで場所を調べることも出来ず、
ノートパソコンもまだいろんな意味で重かった時代。
日本でもWifi環境がある場所も限られてる時代。
アフリカのモロッコでは当然、まだ安宿レベルではネットも通じないので、
インターネットカフェしかなかった。
今もだが苦笑、その当時も、事前に特に調べもせずに、
現地に行けば、誰か知ってるだろう、くらいの状態で向かったら、
そうは問屋が卸さなかった。
まあそれも冷静に考えれば当然で、日本でもかの有名なローリングストーンズの最初期の
リーダー兼、楽器演奏者(ギター、シタールなど)でバンドが本格的に売れる直前に
謎の水死体で発見された曰く付きの人物ブライアン・ジョーンズという人物が、
ハシッシで有名なタンジェかマラケッシュ辺りで、
作家のウイリアムバロウズからその音の情報を聴き、
恋人をバンドメンバーに寝取られる、という最悪の精神状態の中、
モロッコの奥地にある秘境の村、ジャジューカでそこの民族音楽、
確かではないが、スーフィー系イスラム音楽を録音した作品を知る人は少ない。
ましてやモロッコでは。。
しかもキマりすぎだろってくらいにエフェクトをかけた、
ローリングストーンズとは似ても似つかない
『暗黒音楽』という認識を多くの人が持つだろう音楽に関心を持つ人は少ない。
とにかく怪しい、と大抵の人は思うことだろう。
これだ。
聞いて貰えばわかると思うが、これが一般のストーンズ好きのロックファンに受けるわけもなく
当時からカルト作品として1部の人にしか聞かれなかったことと思う。
自分がこの作品をいつ聞いたか覚えていないが、今当時買ったCDを見ると
1995年に初めてCD化されたと書いてある。それで初めて知り、聴いたのだと思う。





Wikiで見ると
1968年に制作されたアルバムで、彼の死後、1971年に発表された、
とある。
おそらくCD化されてすぐにタワーレコード辺りで発売後、割とすぐに購入し、
その当時のJungle,Drum&Bassに、その音を混ぜていた。
その当時の自分のDJはよく『悪魔の召喚儀式』の様だった、言われているが、

おそらくこの様な民族音楽を激しく、ダークな最新クラブミュージックと混ぜる、
というスタイルは誰もやっていなく、
それが4トンの物量になる巨大なサウンドシステムで爆音で浴びることになれば、
その表現は間違いじゃなかったのかもしれない。
ちなみに自分にとってはこの
Brian Jones Presents: The Pipes of Pan at Jajouka
という作品は、すんなりと心に入ってきた。
前提として小学校6年の時に(当時から映画好きだったのもあり)観た
『フルメタルジャケット』というキューブリックの作品の最後、
エンディングトラックとしてローリングストーンズの
PAINT IT BLACK
黒く塗りつぶせ(邦題)
がかかり、鳥肌が立った。
速攻で近所のレンタルレコード屋(懐かしい)に行き、
その曲が入っているローリングストーンズ・ベストなるものを借りて、
他の曲も聴くと、他の曲はただのポップスにしか聞こえなく、
全く琴線に触れなかった。
(ファンには申し訳ないが、今も)
聞いて貰えばわかると思うが、
シタールという楽器を白人が勝手な解釈で演奏することで、
エキゾティックという異世界への憧れと同時に、
偏見の先にある『恐れ』が、『怪しさ』を醸し出すことになったのだろう。
その感じが両作品に完全に通じていたからだ。
話をモロッコに戻そう。
そんなジャジューカという作品から一体現地ではどんなことになってるのだろう、
という極めて単純な興味から、成田からモロッコに向かった。
まずはスペイン、マドリッド。
すでに1997年、タイ、インドネシア、バリを体験していた自分には、
そこは東京とさして変わらない『都会』であり、
何も得るものはないと即判断し、
バルセロナに向かった。
そこで、サングリアや生ハム、パエリアなど
とんでもなく美味な食事を堪能し、2-3日経った頃、
ふと思った。
『何かが足りない、、、』
そう、危うく目的を失いそうになっていた。
観光地にありがちな、商業用の、つまり金のための音楽ではなく、
魂から来る、もっと人智を超えた音を。
『リアルな音』を求めていたのだ!
その気づきはたった数日での出来事だったが、
象徴的な気づきとして今もよく覚えている。
いくら最高な気候、食事、女etc
欲望や五感は満たせても、満たされないものがあるのだと。
そこから急いでバスに乗り、スペイン最南端からマラガ海峡をフェリーで渡り、
ついにアフリカ大陸に上陸!
そんな感慨に浸る暇もなく、
よだれを垂らしたおっさんが
『ハッシ、ハッシ!』と目の前にこびり付く。
周りを見渡しても、そこが何千年も、否、何万年も前から交流地点で、
どこもそうだが、
人が大勢集まり、流れる場所には誘惑や危険がつきまとうもので、
そこには悪魔の様な妖怪がうろついているもので、
ここに用は無い、とすぐに察知した。
自分が求めてるのは現実逃避する事象ではなく、
『魂に触れる音』だからだ
一泊だけして、すぐにバスでまずはカサブランカに。
有名な映画も見たことはなかったが、着いたそこはなんともムードのある都市だった。
しかもたまたま泊まったホテルの1階、2階がバーになっていて、
1階はダラブッカという中東のパーカッションとヴァイオリンとリズムマシーンの
セッション?ライブが聞け、それも興味深いモダンな音だったが、
2階がサズ、ウードの二人の老人のデュオで演奏していて、
それが特に胸熱だった。
しかも演奏が終わったその演奏者の老人から英語で話しかけられ、
その当時、まだ不慣れな英語ながら日本から来たことなどを伝えると、
『私たちは日本人を本当に尊敬している。
その時代、白人たちに喧嘩を売って勝ったのは日本だけだからだ。』
と言われた。
今まで日本はアジアを侵略した悪い国、と
学校でも教育されてきたし、
唯一の父方の祖父も戦争について何も語ってくれなかった。
実際に原爆など落とされ、ボロボロになり降伏した国なのは事実で、
現状、米国などに媚びへつらう情けない国として、
自国に誇りなど持ったこともなかったが、
その時、感情が湧き上がり、その老人と涙しながら抱き合った。
それは今でも記憶に残るもので、
アフリカのモロッコに住んでいる人が極東の自国に尊敬を抱いてくれたなんて、、
祖父や、戦争で亡くなった人たちや、苦渋を舐めた全ての人たちが救われる言葉だと思った。
この体験の後もさまざまな国で、日本を尊敬している、という発言は聞くことになったが、
最初の機会となった。
ともかく
ここでもジャジューカの情報はえれず、
マラケシュという大きな街に向かうことにする。
着いたそこはまるで映画『STAR WARS』の世界だった。
人身売買もしてそうな広大な市場に
おとぎ話だと思っていた蛇遣いや火を吹く大道芸人、
得体のしれない歯!やアクセサリー、焦げた肉の匂いが場内に充満している。
一体どこから集まったのか分からないが、浅黒い肌の男や女が
まるで野生の肉食獣の様な目でこちらを凝視する。
まだ西欧人もまばらで、アジア人など一人もいない状況で、
目の前で繰り広げられる古代の状況に心底衝撃を受けた。
それでもそれを顔に表さないように、ポーカーフェースで、
しかもその当時自分の中で流行っていたDATレコーダーにマイクを挿し、
フィールドレコーディングすることも怠らなかった。
そんな中、お!
あれはグナワじゃないか!
GNAWA
と興奮を抑えながら、ゆっくりとその音も収めながら周遊する。
するとそのグナワの集団の頭に鈴をつけたダンサーがこちらに2-30メートル先から走ってくる。
怯んだが、なんと、
『お前、録音してるだろ、金よこせ!』
と。
一瞬、頭が真っ白になったが、
すかさず
『別にお前らだけを録音してるんじゃねーから。
こっちはこの場所の録音をしてるんだ!』
と軽く逆ギレしたら、そそくさとまた演奏に戻っていった。
その一件は特に問題にはならなかったが、
それでもその後、フィールドレコーディングをすることで、
そのような解釈をしてくる輩もいると知れたし、
それだったらちゃんとお金を払って、現地の民族音楽を録音させてもらう、
というのがいいのかな、と思い始めた大きなきっかけになった。
それが2003年、キューバから始まった録音の旅に繋がったのだ。
ともかくそこで観た、聴いた光景は今も脳裏に焼き付いている。
東京とは全く違う世界が存在し、それは何万年も前から
変わらない何かが存在し、次元を時空を越えさせてくれたことを。
そんなマラケシュでジャヤジューカの聞き取り調査を本格的に始める。
流石に危険だと思い、彼女はホテルに居てもらい、
一人でメディアと言われる迷路の要塞都市に特攻する。
そこで当然またもや、『ハシシ』を売りつけようとする輩に大量に出くわすが、
その中の一人がジャジューカを知ってる、ということでうちでお茶でも飲もうと、
誘われた。
迂闊(うかつ)だった。
気温46度もあるので頭がちゃんと働いてなかったのかも知れない。
でも彼らについてその迷路を歩き出してしばらく経った頃には、
ヤっちまった。。
と気づいた。
これは一人では帰れない。
何せその当時のモロッコは上流階級か(会ってはいないが)、
売人しか英語は喋れない。
外国語で通じるのはフランス語だけ。
しかもこんな貧民街で救いは求められない。
とにかく無事帰れることを信じて奥についていく。
そして完全なるアジトに到着すると
案の定、ジャジューカの話などまるでなく、
ハシシをどれくらい買うのか?
という話になる。
まあどうにか1万円以下の量で済んだが、とにかく
ここを脱出するには、ひとまず彼らに従うしかない。
そしてどうにかそれは成功した。
しかし、教訓にはなった。
言語が通じない、とは相当立場を弱くすることを。
東京やニューヨークなどのルールはこのような場所では全く通用しない。
異世界なのだ。
ともかく割と大きな都市でもジャジューカを知ってる人には出会わなかった。
インターネットカフェで改めて検索したら、
英語だが、SONIC YOUTHのギターの人がこの数年でジャジューカ村に訪れた、
みたいな記事を見つけたくらいだ。
それがどのエリアにあり、どのようにアクセスできるか、
という情報は全くなかった。
ということで、マラケシュを後にして、
海の街、エッサウェラへ向かう。
旅は続く
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J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY / NXS /CROSSPOINT)
http://www.nxs.jp/
https://linktr.ee/JAKAM
東京出身。15歳からバンドとDJの活動を並行して始め、スケートボードを通して知り合ったメンバーで結成されたバンドEvilPowersMeの音源は、結成後すぐにアメリカのイラストレイターPusheadのレーベル等からリリースされる。DJとしてもその革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としても米Grand RoyalからのBuffalo Daughterのリミックスを皮切りに、Boredoms等のリミックス等メジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。2003年にキューバで現地ミュージシャンとレコーディングツアーを敢行したのを皮切りに、その後世界各地で録音を重ね、新たなWorld Musicの指針として、立ち上げたレーベルCROSSPOINTを始動。
2015年から始まった怒濤の9ヶ月連続ヴァイナルリリースは大きな話題になり、その影響でベルリン/イスラエルのレーベルMalka Tutiなどからワールドワイドにリリースされ、DJ TASAKAとのHIGHTIME Inc.、Nitro Microphone UndergroundのMACKA-CHINとPART2STYLEのMaLとのユニットZEN RYDAZ、Minilogue/Son KiteのMarcus HenrikssonとKuniyukiとのユニットMYSTICSなど、そのオリジナルなヴィジョンは、あらゆるジャンルをまたぎ、拡散し続けている。また音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、野外フェスOoneness Camp”縄文と再生”を企画するなど活動は多岐に渡る。